ORIGIN
初代社長 岡本桜
「ガス博士」と呼ばれた
初代社長岡本桜は、1878(明治11)年4月3日、兵庫県大書記官であった岡本貞の次男として
京都同志社普通部を経て、第一高等学校、東京帝国大学工科大学へ進み、1903(明治36)年、 応用化学科を首席で卒業。
恩師高松豊吉博士の紹介で、1904(明治37)年5月、大阪瓦斯創業時の工場建設工事に関わり、
外国人技師長キャロル・ミラーの厳しい指導のもと、技師として腕を磨きました。
1906(明治39)年9月に名古屋瓦斯に技師長として入社し、技術者・経営者として手腕を発揮。
1921(大正10)年に、名古屋瓦斯の第3代社長に就任しました。
翌年、名古屋瓦斯は関西電気と合併し東邦電力となり、それと同時にガス事業を 分離・独立して「東邦瓦斯」が設立され、岡本桜はその初代社長に就任しました。
技術者としては、「岡本式コークス炉」の開発や、ガスの高圧供給を初めて採用し
「ガス博士」とも呼ばれました。
また、これら卓越した技術力と経営感覚は各地のガス事業者の創設・再建にも生かされ、
北九州瓦斯や西部合同瓦斯、岐阜瓦斯などの経営にも参画しました。
1935(昭和10)年2月22日、多くの人に惜しまれながら、56歳の生涯を終えました。

会社の目的は、
需要家へのサービスを通じて、
社会へ貢献すること
岡本桜は「お客さま・株主・従業員は三位一体であり、これら企業をめぐる利害者の
共存共栄が必要不可欠である」との経営理念のもと、
- お客さまには、 良質なガスを低廉に多く供給する。
- 株主には適正な配当を確保する。
- 従業員には その生活の向上と安定を図る。
上記3点を柱に、事業運営を行ってきました。
さらにこの考え方は、社会・公共面における奉仕(サービス)論にまで広がり、「我々の会社の目的は需要家へのサービスを通じて、社会へ貢献することである」との言葉が示すとおり、地域社会との一体化(地域貢献)をも意味するものとなりました。
それが形となって表れたのが、東山植物園建設費の寄付です。
1932(昭和7)年、岡本桜の発案により名古屋市に植物園の建設費として寄付(当時25万円)を行い、その寄付金をもとに、名古屋市は同園の建設に着手。5年後の1937年に完成しました。
また、ガス事業を公共事業として確立するために多忙を極めるなか、幼児や女子の教育にも意欲を燃やし、1924(大正13)年には桜菊幼稚園、翌年に桜菊女子学園を創設しました。


経歴
1878(明治11)年4月 | 神戸市にて出生 |
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1903(明治36)年7月 | 東京帝大応用化学科卒業 |
1903(明治36)年10月 | 東京瓦斯に臨時嘱託として入社 |
1904(明治37)年5月 | 大阪瓦斯に技師として入社 キャロル・ミラーのもと岩崎工場建設に携わる |
1906(明治39)年9月 | 大阪瓦斯を退社し名古屋瓦斯に技師長として入社 |
1909(明治42)年12月 | 京都瓦斯の工場建設に携わる(技師長嘱託) |
1910(明治43)年5月 | 千代田瓦斯設立の際に技師長兼工務課長として就任(後、1912年2月東京瓦斯と合併) |
1911(明治44)年6月 | 名古屋瓦斯取締役就任 |
1915(大正4)年1月 | 岡本式瓦斯窯特許承認 |
1921(大正10)年6月 | 名古屋瓦斯社長就任 |
1922(大正11)年6月 | 東邦瓦斯初代社長就任 |
1923(大正12)年5月 | 北九州瓦斯社長就任。また、西部合同瓦斯取締役就任 |
1925(大正14)年6月 | 岐阜瓦斯社長就任 |
1926(大正15)年6月 | 西部合同瓦斯社長就任 |
1927(昭和2)年3月 | 東邦瓦斯、西部合同瓦斯を合併(後、1930年1月西部瓦斯を設立し分離) |
1927(昭和2)年7月 | 東京瓦斯取締役就任(後、1930年4月副社長就任) |
1935(昭和10)年2月 | 逝去 満56歳 |