第11回結果・作品発表
「こころの木」賞
岐阜市立藍川北中3年 渡邊 成美さん
高瀬舟(森鷗外)
喜助は、本当に弟を殺したのでしょうか。
喜助が、弟の首に突き刺さった剃刀に手をかけたのは、弟が自分で首を切り、深く深く押し込んでも一度に死にきれず、「ああ苦しい、早く抜いてくれ、頼む。」と、苦しみのあまり怨めしそうな目つきで言ったからです。
幼くして両親を亡くし、貧しい生活の中でも、なるべく離れないように一緒にいて助け合って働き、二人きりで生きてきた、たった一人の身内である弟が、死のうとして死にきれず苦しんでいるのを見て、何とかしてやりたいという気持ちだったのでしょう。弟が自らの病で働けず、兄にばかり辛い思いをさせていることに悩み、早く死んで兄に楽をさせてやりたいと首を切ったのです。死なせたくはない、しかし、この苦しみから解いてやりたい。どちらにしても死んでしまうのならば、少しでも早く楽にしてやりたいと考えたのでしょう。
私が喜助の立場だったらどうするでしょうか。やはり、目の前の光景に驚いて立ちすくみ、何もできずにいると思います。しかし、「早くしてくれ。」と訴えている目に見られていれば、私も少しでも早くこの苦しみから救ってやりたいと思うでしょう。もし、うまく抜くことができなければ、たった一人の弟が死んでしまうかもしれない。そう思うと、剃刀に手をかけることはなかなかできないでしょう。けれども、「しかたがない、抜いてやるぞ」と言った時の弟の嬉しそうな目を見れば、言うとおりにしてやりたい、そして、楽にしてやれて良かった、最後の頼みを聞いてやることができて良かったと、ほっとした気持ちになることでしょう。
喜助のとった行動は、現代でいう安楽死といえるのかもしれません。あの時、喜助が急いで医者を呼びに走ったとしても、戻った時には弟は苦しみ抜いた顔で死んでいたでしょう。喜助は決して弟を殺そうとしたのではなく、殺そうという意識さえみじんもなかったのだと思います。喜助は弟殺しの罪を負いましたが、私は罪だと思いたくはありません。それを罪であると認めなければいけないのかもしれませんが、二人の生きる苦しみを知らない者たちが、それを簡単に罪だと言うことには疑問を感じます。
私は、人の命については、こうすることが正しいと言えない難しい問題もあると思いますが、自分勝手な解釈で命のあり方を決めてしまうことは、絶対にいけないと思います。これからも、自分の命、人の命について考えながら、いろいろな人の考え方を知り、命について視野を広げていきたいと思います。






